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今日のショウケイ

今日のショウケイ1215

2022/12/16

宮城県NIE委員会主催「児童・生徒による意見交換会」がオンラインで開かれ、本校から5名の生徒が参加しました。意見交換会は、県内の小学生、中学生、高校生が、新聞を学習にいかに活用しているのか、お互いに情報を交換し、学び合うことを目的にしています。参加した5名の生徒はいずれも、「河北新報新聞記事コンクール」で入賞しています。本校では、情報収集として「新聞記事を読む」ことと同時に、情報発信として「新聞記事を書く」ことにも力を入れています。

高校生の参加は本校だけでしたが、小学生や中学生にも分かりやすい報告をしてくれました。

以下に5名の生徒の報告内容を掲載します。

 

「見えない障害」KNさん

 今回、私は「世間のあたりまえが、当たり前ではない人もいる」ということに焦点を当てて執筆しました。漢字を書けることや、時間を守ること、計算を容易にこなせることなど、これらは社会においては当たり前かつ必須のスキルであると感じます。しかし、これらのスキルが「見えない障害」によって世間一般の「あたりまえ」が「不可能にされる」という現実があります。自分自身が持つ特性やまたそれゆえに体験したことと、研究によって明らかにされている不変の事実、そして社会における認知など、様々な視点から当事者なりに考えをまとめました。またそれの認知が広がることを願い、「自分自身の思い」とともに筆を執り、文にまとめました。

 

「こどもからのSOS」KGさん

今回執筆した記事で取り上げたのは、「ヤングケアラー」についてです。社会的にも注目度の高い言葉ですが、現状はまだ多くの課題が残されており、同世代にも悩んでいる人がいます。私がこのテーマを書く上で調べた際、17人に1人の割合でヤングケアラーがいることや、家族の介護をする生活が当たり前で、自身がヤングケアラーという認識がない子どもも少なくないという実態を知りました。このように表面化しにくく、孤立化しやすいと言われるヤングケアラーですが、当事者を1人にさせないことが問題解決に深く関わってくると感じます。また、今回記事にしたことで、ひとつの社会問題を深く考えることができ、周りに悩みを抱えている人がいたら、他人事だと思わず声をかけて寄り添えるようになりたいと思いました。

 

「何事にも挑戦しよう」RSさん

 「迷ったら攻めろ」。この言葉は、青学駅伝部の原晋監督がある選手にかけていた言葉です。攻めの走りをするかあえて守りに入るか迷ったら、攻めの走りをしようということだそうです。私はこの言葉を座右の銘にしていて、「やるかやらないか迷ったらやってみよう」と置き換えています。私は、仙台駅の地下の改札で目の不自由な女性を見かけました。そこで座右の銘を思い出し、私は勇気を出して声をかけました。今までの自分はこのようなことはできませんでしたが、新たなことに挑戦したことで自分に自信がつきました。自分のこの経験を通して、まず、何か困っている人や障害を抱えている人がいたら、助けてあげることが大切だということ、そして、このような経験を通して自分に自信がつき、私のように自身の成長を感じてもらえたら嬉しいという思いがあります。何事にも挑戦する姿勢が大事だと思います。

 

「助ける存在、助けられる存在」STさん

 今回の記事で、「障害者は必ず助けられるだけの存在ではない」ということを自分の実体験を基に執筆しました。しかしこれは、障害のない人に対しても当てはまります。あの人は優秀、あの人は助けられてばかり。人の能力を最初の印象や勝手な偏見だけで決めつけてはいませんか?優秀な人にだって苦手なところはあるし、助けられてばかりのあの人にだって必ず誰よりも優れている面があります。もし自分には長所がないと感じている人がいたら、それはまだ得意分野に出会っていないだけでしょう。記事では障害者を例として述べましたが、これは障害の有無に関わらず皆共通です。

 得意分野なら先頭に立ってリードしていく。苦手なことは素直に人に頼ってみたりたまには挑戦してみたり。そうやって全ての人が補い合いながら、それぞれが障害があるかなど関係ないくらい、長所を生かして輝けるような素敵な世界になることを願っています。

 

「福祉を身近なものに」KKさん

 この論説を書くきっかけとなったのが「逃げ遅れゼロへ」という災害弱者の避難の課題を取り上げた河北新報さんの記事を読んだことです。

 私は、東日本大震災で被災した経験から、世界のあらゆる地で人を助ける仕事をしたいと漠然と思ってきました。高校でも、貧困の国でボランティア活動をするプログラムを受けたいと希望していましたが、コロナ禍でその願いは絶たれました。そんなとき、その記事が目に留まり、すぐに聴覚障がいのある友人のこと、杖をついて生活をしている祖父母のことなどが頭に浮かびました。確かに世界には貧困や戦争などで困っている人々は沢山いますが、目先を変えれば、この日本、地域、友人、家族、と困っている人は、実は身近にいるということに気付くことができました。そして、支援の方法は物理的なものより人がする支援、協力が何より大事だという結論にいたりました。

 この論説での学びを通して、将来自分が進むべき方向が定まり、地域福祉を学べる大学への進学を目指しているところです。 今後はその学びを深めて、大学での地域住民との交流やボランティア活動を通して、沢山の人に学びを伝えていきたいです。